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cinematheque 30/- blog

いつも心にデカダンを。

【旅日記】北京(故宮博物院・②)

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故宮はおよそ72万平米(!)ある敷地のうち、午門(天安門の次にくぐる門)から前三殿(大和殿、中和殿、保和殿)までを「外朝」とし、公務等オフィシャルなスペースとして使用していたそう。一方、写真は敷地後ろ半分の「内廷」の通路。皇帝の寝所(乾清宮)やパーティールーム(交泰殿)を中心に、東にも西にも皇太子の居所や皇族専用の寺院、側室の居所が数えきれないほど点在しており、まるで一つの町のよう。

左壁面の向こう側には西太后が暮らした部屋(儲秀宮)や愛新覚羅溥儀が紫禁城を追われるまでの間暮らした場所(景麗軒)がある。

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儲秀宮右側。何と書いてあるのか調べてみたけど不明。

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儲秀宮内に展示されている宝物の一つ(中には入れず、ガラス越しに見られる)。他の展示品も美しく、西太后の当時の権力がうかがわれる。

時間が十分になく、全体的に駆け足だった今回の鑑賞。通ったけどよく見られていない部分(中和殿、保和殿、坤寧宮)や行けなかった部分(内廷東側など)など、まだまだ見たいところ、展示物が多くある。

万里の長城同様、次回の訪問に期待しよう。

【旅日記】北京(故宮博物院・①)

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万里の長城へ行った翌日は、朝4時半起床にて国旗掲揚と毛先生のご遺体を拝んでからの故宮博物院。こちらに来たのもまだ朝9:00ぐらいだったけど、既に人だらけで大変な混雑。

ちなみに故宮および故宮博物院とは1924年からの名称で、もとの名前は「紫禁城」。映画『ラストエンペラー』('87)を観た人にもこちらの方がなじみ深いだろう。

チケットを買い、まずは大和殿を撮影。「これぞ故宮!」とテンションの上がる眺めだが、誤ってピントが手前の観光客に合ってしまった。早起きで寝惚けてた。

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大和殿の東側。少し戻ると文淵閣(四庫全書を収めた場所)がある。中央奥は箭亭(武道場)と思われる。

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 大和殿にある玉座。いまなお豪華絢爛でした。

【旅日記】北京(万里の長城・②)

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登城前に腹ごしらえした八達嶺入口のレストラン。看板がなぜか可愛い路線。 

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 中はこんな感じ。連れの交渉で写真の席でなく、個室に通してもらえた。

入口のおばちゃんは現地ガイド?で、今回私たちをこのレストランに連れてきた人。

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オーダーしたのは水餃子、煮魚、生野菜とこのパン?と炒め物。ひき肉と香菜がおいしいこの炒め物をパンにはさんで食べる。

そして、ここで登城前に燕京ビールを两瓶(Liang ping=二本)飲んだことが大いなる過ちだった。(だって、ロープウェイ乗ると思ってたし・・・)

それにしても、現地人の連れをして「あの店(このレストランのこと)あんまり美味しくなかった。もう行かない」と言っていたのに、いまでも私は美味しかった記憶しかない。

中国ではどんな店に行っても大概美味しく感じるので、私は前世が大陸人だったか、現在ただの味音痴かのどちらかだと思う。

【旅日記】北京(万里の長城・①)

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 数ある長城のうち、一番観光客で賑わう八達嶺長城。登城の門で北側(女坂)と南側(男坂)に道が分かれている。私たちが登ったのは女坂だけど、どこが女性的なのか当時の人々に問い質したい。一番高い北八楼に辿り着くまで、途中何度も心臓が破れるかと思った。

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北側の全体像。これを全部登り切ったと思うと、インドア派の私としては誰彼かまわず自慢したい気分になる。

ちなみに、万里の長城の入り口には面白い石碑?があって、そこには

「万里の長城に登らないのは残念だ。しかし登ってみると(疲れ果てて)もっと残念だ

という内容が刻まれている。えらく達筆な文字で、しかもかなり大きく・・・

これには徒歩で登下城した人の多くが共感する事だろう。私も帰国直後は「万里の長城は(一度登ったし)もういいや」と思っていた。

しかし、万里の長城は一つだけではない。映画のロケにしばしば使われる金山嶺長城、城のふもとがダムに沈ん黄花城長城など、万里の長城にはまだ様々な顔があるようだ。そう思うと、一度登っただけではどうも不十分な気もしてくる。

結論:北京に行くたびにより残念な思いをする酔狂もまた人生の楽しみかもしれない。(次は金山嶺かな…)

【旅日記】北京(北京閲微庄賓館)

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前から泊まりたかったホテル。清代の学者が住んでいた四合院(中国の伝統建築)を改装して客室にしている。英名でDouble happiness courtyard hotelとも。

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この庭でのんびり読書をして過ごすのが今回の旅の目的(だった)。先述の通り予定通りにはいかなかったけど、すきま時間で読んだヘッセの『メルヒェン』とこの庭は不思議にマッチして、とても癒された。

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おなじみの赤いランタン。夜になれば灯りがともって、なにやら夢の中のよう。

メルヒェン (新潮文庫)

メルヒェン (新潮文庫)

 

 おまけ:『車輪の下』以来のヘッセ。大人が読んでこそわかる'メルヒェン’が詰まってます。

 

【日記】2016年9月26日

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(Beijing,2016)

北京に行ってきました。

当初の目的は「誕生日に、ずっと行きたかったホテルの中庭で読書する」というものでしたが、友人の奥様がガイドについてくださり、一転エネルギッシュな旅に…。

万里の長城(八達嶺長城)も「ロープウェイで行ったらつまらない、意味ない」とのことでばっちり北八楼まで登城して、帰りもトコトコ歩いて下城。

翌日は朝4時起床、天安門にて国旗掲揚と毛先生の綺麗なご遺体(防腐処理されている)を拝謁。

自分ひとりでは絶対にやらない旅程でした。それだけに面白かった

そして肝心の誕生日は、前日の夜に彼女の友人たちと交わしたあまたの乾杯(文字通り杯を干す)により、ばっちり撃沈していました。そんな35歳。

旅行中の写真は整理してギャラリー・ブログ共にUPしていこうと思います。

【旅日記】アウシュヴィッツのこと・④

(企画・戦争をめぐる映画/旅 第一部 アウシュヴィッツ、カティンの森、そしてヒロシマ― ⑥)

アウシュヴィッツのこと・③から続く

結局、日が暮れ切るまでにはクラクフに戻ることができた。ホステルに戻って少し休み、中央広場の観光客向けのレストランへ向かう。通りにはもう少し雰囲気のいい店もあるが、広場の方はパラソルと白いテーブルが呑気で観光地らしく、今日見たものとの気持ちのバランスが取れそうだと思った。

ポーランドは親日国と聞いていたが、いつだって例外はある。私を見て「どこから湧いてきたのか」とでも言いたげな眼差しで立ちはだかる金髪碧眼の美人ウェイトレスに、ビールとハンバーガーをオーダーした。ポーランドでハンバーガー?と思われるかもしれないが、既に書いたように芋も肉も、パンは言うまでもなく美味しい土地なので、訳のわからないものは出てこないだろうと思った次第だ。

待っている間、その美人の無愛想さが可笑しくて、同時に初めてパリに行ったときみたいだな、と思った。だいたい10年前くらいだろうか。その間にパリにおける日本と日本人への扱いはずいぶん優しいものになったと思う。今では「manga」の単語をあちこちで見たり、通りで「bento」と書かれた看板もよく見る。なによりこの時は、老舗百貨店ボンマルシェではsacaiやgreenの服、工芸品など日本のプロダクトを集めた展示会が行われていたくらいだ。

そう、昔パリでもろくに返事をしないウェイトレスに遭遇したものだーーフランス語で呼びかけるにもかかわらず。その一方で愛想のいいウェイトレスもいて、困ったことはなかったけれど、その頃に比べれば今ぞんざいな扱いを受けることはまずない。あるいはわたしが変わったのだろうか?

とかなんとか考えているうちに、先程のぞんざいな美女がビールとハンバーガーを運んできてくれた。

案の定、ハンバーガーも付け合せのポテトもピクルスもとても美味しかった。しかも、パリで食べる値段の3分の2以下でお腹いっぱいになる。ビールは1瓶3ズウォティ程度、円換算するとたった100円である(さすがにレストランでは観光地価格だが)

ほとんどたいらげた後ビールをお代わりし、着飾った馬のぱかぽこという足音や、楽団が客の前で楽しげな音楽を奏でるのを眺めて満足していた。

しかし、向こうの空が「あれ、ちょっと暗いな」と思うと、あれよという間に黒い雲が空を覆い、雨が降ってきた。

初めは楽団も負けじと演奏を続けていたが、次第に雨が激しくなり、まず前列の客が逃げ出す。前列は広場に面して見晴らしが良い分、雨がもろに当たるのだ。私はもう少し粘ってみるが、すさまじい雨量にパラソルがたわみ、端がおのおの蛇口のように勢いよく水を放出している。

いよいよ雨は轟音を立て、尋常ならざるピークを迎えた。これには楽団も私たちも参り果て、パラソルが密集している後ろ側の席に避難し、皆で雨に打たれるグラスや皿を眺めた。すでに残り少なかったが、わたしのポテトも水浸しになってしまった。

季節は初秋。雨に打たれて寒いし、さすがに寂しくなって、たまたま隣に突っ立っていたぞんざいな美女に話しかけた。

「ここではこんな天気が普通なの?」

すると彼女の顔全体にちょっとした緩みが見えた――見間違いかもしれないし、そうだとしてもほんの一瞬だが。青い眼もわずかにゆらいだ気がしたが、やはり気のせいだったのだろうか。答えは「いいえ」というごく短いものだった。とはいえ、その顔には「こんなきちがいじみた天気は初めて」というような当惑も見て取れた。

はじめから分かっていたことだが、どうも私はこの人が好きらしかった。

完全に日が暮れてホステルに戻ると、改めて部屋の中を見回した。アール・デコがテーマで、内装もセンスがいい。スタッフの対応も気持ち良く、朝食はびっくりするくらい美味しい。

名残惜しいな…と思いつつ、翌日のフライトを確かめて早めに寝ることにした。

 

 

 

 

 ーーーー

辺りは暗い。あるいは、自分の視界がひどく狭いのかもしれない。見えるものはみな赤黒い。人は見えないが気配はする。

わたしは穴の中にいた。両腕を外に出して、穴の底に落ちないようかろうじて体を支えていた。

このままなんとか穴の外に出たいのだけど、腰から下が動かない。

なにかとても重いものに引っ張られている。

外に出ようともがけばもがくほど、腰にへばりついているものは私を穴の底へ底へ引きずり降ろそうとする。

視界は変わらず狭く赤黒く、穴の外に出たところで安心だとは到底思えなかった。それでもどうしてもこの穴からは出たかった。なんとかして出なければならないと思った。

むなしくも土に爪を立て、背中と肩、肘を使ってどうにか体を持ち上げようとする。それでも少しも進まない。

突然、腰のおもりがまとわりつく人の重さとはっきり分かったとき、

何かを叫んで目が覚めた。

ーーーー 

 

 

 

 

時計を見ると、まだ夜中だった。大きな声だったのではないか、周りに響かなかったか心配になったが、とくにそういう気配もない。

なにを叫んだか、といえば、たしか「お母さん!」とか、そんな感じのことだったと思う。でも日本語で叫んだ記憶もない。あるいは言葉にもならないなにかを叫んだのかもしれない。

とにかく、もう一度眠ることにした。また悪夢だとしても一つ見るごとに朝は近づく。それはとても幸運だということが、わかりつつある。

 

幸いその後はうなされることなく、昨日と同じ清々しい朝に目覚めることができた。

朝食はまた飛び上がるほど美味しく、チェックアウトに至るまで変わらず感じのよいホステルだった。

空港は来たとき通り少しうら寂しかったが、飛行機でイチャつくカップルとは隣り合わせなかった。

こうしてパリに戻った。

 

 

kojimat.hatenablog.com

 

 

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