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いつも心にデカダンを。

【日記】2017年5月21日

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(Shinjuku, Japan 2016)

続く微熱、遅々として進まない文章。だーい好きなお酒を減らしても一向に治らない。自分のブログで日記の比率が大きくなるのは避けようと決めていたけれど、撤回し、近況および雑感だけでも綴ることにした。

さて、前述の通り月の始めにお酒をほぼ断ってからというもの、妙に感覚がクリアになり、昔のことが鮮やかに思い出されるようになった。時代はランダムで、中学生や幼稚園児の頃、上京してから等々、思い出の詰め合わせがタイミングを問わず去来する。例えば幼稚園児の頃であればこうだ:

シーン1、発表会の準備。いつもの教室とは違う場所で練習をしている。冬で、窓側の子供がガラスに息を吐いて落書きをしている。当時極端に内気で無口、子供らしい活気のなかった私はそれを見て「なんてことをしでかすんだろう」と思っている。雪は降っていないが曇天で、部屋の中も外も明るいグレーの濃淡でまとまっているーー子供心にも一番好きな色のトーンだ。そして今でもそう。シーン2、別のホールでの運動会の練習。屋内で行うのは外が雨だからか?行進の足並みが揃わず、何度もやり直しをしている。背後から「揃うまで何度でもやるよ」という先生の声がする。怒気をはらんでいる。聞こえてもいるし意味は理解するが、自分が何をやっているのかどうもよく分からない。繰り返すうちに、自分の体が自分のものではないように思えてくる。ホールは緞帳のベロアの深い赤と、よく磨かれた床の濃い茶色で構成されている。発表会は大概ここで行われた…たぶん、この場所はあまり好きではない。内気ついでに嫌になる程病弱だったせいで、発表会には一度も出ていないけど。シーン3、同じホールで別の時間、やはり発表会の準備。歌と合奏の練習。あるフレーズの歌詞が印象的だけど、某協会が怖いので詳細は書かない。

というように、ある共通のキーをよすがにどんどん記憶が掘り起こされていく。キーは何でもいいけれど、場所か状況が多いらしい。特に古いものは目新しい(?)し面白いけど、発掘の途上でたぶん捏造、とは言わないまでも現在の私がどこかしら補強しているのだろうとも思う。

記憶はいい加減なものだ。酒浸りになる前から保持していた幼年期の記憶があり、それは場所についてなのだけど、成人してのちその場に行くと、全然そんな見え方はしなかった。再度自分の記憶を一枚の写真のように思い浮かべ、よくよく確かめると、なるほど一部だけ歪んで誇張されている。…と思っているうちに部分がますます拡大され、こちらに近づいてくるような気さえする。かくして、一つの場所と時間をめぐって何バージョンもの映像が脳裏に作られてゆく。これが記憶というものだ。それでやはり脳裏にあるプロジェクターにスライドよろしく置いてみて、「こっちじゃない」「これよ」「いやこれだ」と頭の中で喧々諤々やっている。その声は自分のようでもあり、そうでない気もする。そんなふうに、最近の鮮やかな映像も脳内部署でレストアされたりデジタル・リマスターされたり、あるいはディレクターズ・カット版になったりしているのだろう。

なお、発熱も記憶の逆流も、むしろ断酒による離脱症状じゃないかとあやしんだりもしたが、そういうわけでもないらしい。パートナーによれば「きみはアル中だけど今回のこと(熱)は風邪」なのだそうだ。笑えない。

いずれにしても回復には時間がかかりそうだし、しばし命の泉から遠ざかり記憶の映画館に引きこもる事になりそうだ。