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いつも心にデカダンを。

【日記】2017年8月9日

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(Tokyo, 2017)

珍しくパートナーが帰省したので、1人にはやや広い自宅で週末を過ごした。広めといっても「好きな場所:押入れ/家具のすき間」の私に広めの部屋であって、普通の人には手狭で間違いない。

ともかくも一人であることに対して、最初の二日くらいは何も変わらない。洗濯物が依然ふたり分とかいう具体性を除いても、心がかたち作っている「ふたり暮らし」のインターフェースはそう簡単に崩れない。相手のちょっとした不在はオプションによって処理され、気持ちは「ふたり」のまま、いつもと違うことを少しするだけだ。

しかしさらに時間が経つと、仄暗い意識の奥から「ひとり」の私が疑わしげにやってくる。「本当に出て来ても良いのか」疑いながらも、当面は表に出さないと決めた物事の留め金を外していく。「ふたり暮らし」を窮屈とは思っていないが、ひとと暮らすために保持している「型」をつかの間放棄するつもりなのだ。

ところで、ほぼ10年前の出来事から「アストル・ピアソラを聴くのは冬」(※1)と自分ルールを設けていたのだが、きのうの朝突然にギドン・クレーメルの弾く『ブエノスアイレスの夏』が聴きたくなった。朝の空が青くて緑が濃かった、ごく単純な事でスイッチが入った。

・ブエノスアイレスの夏(『ブエノスアイレスの四季』より)演奏:ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ

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クレーメルはピアソラの作品をオーケストラ向けにアレンジし、ピアソラブームの火付け役となった(と言われている。よくわかっていない)。 動画は2007年の来日公演だろう。私が彼を知ったのもその時だ。

はたして聴いてみると、まず足元をえぐるグルーヴで震える。疾走感が見えない風になって、頬の両脇を抜けてゆく。クレーメルのバイオリンはのびやかにどこまでも遠く行こうとするが、それでも心がもっと、もっと、と先へ逸る。ブエノスアイレスの空はもっと青く、木々はもっと緑が濃いのだろうと気持ちが浮き立つ(※2)。それがクレーメルとクレメラータ・バルティカの「夏」だ。

そういえば、はじめてこれを聴いたのも夏だったしな。その夏の後あてもなく甲州街道を歩いたとき、なかば吹雪く雪とその景色に、あまりにもクレーメルの弾くピアソラが似合いすぎていたので、それ以降は冬に聴くものとして認識したんだな。彼が弾くピアソラは愛憎を一層激しく研ぎ澄まして、しばしば聴く人の心も貫いてしまう。それでいっそう心を固くしたんだな。

などと、10年前のことがふわふわと思いだされてきた。当時の感情がよみがえることは無く、ただこの「夏」が素晴らしい演奏だということ、今が夏だということ、10年前も夏だったということだけが思われた。これが「ひとり」効果なのかは分からない。とにかくその日は帰宅してから毛布に顔をうずめ、久しぶりに声をあげて泣いた。

(※1)ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』鑑賞で聞くピアソラは例外。

(※2)そうかといって、ブエノスアイレスが緑豊かな場所だとも思っていない。あくまで音楽の中の風景がそんなふうに見えるだけだ。