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cinematheque 30/- blog

いつも心にデカダンを。

【日記】2017年4月20日

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(Yokohama, 2017)

気がつくと、春どころか夏日になっている。冬の終わりにばっちり季節病が悪化して、ものを書く気が起きず、instagramで細々活動していました。ほんとに細々だけど…そしてちゃっかり宣伝。この写真もinstagramから転載したもの。このひと、どこか遠くを見ているようで、なぜかうらやましいと思った。

週末は広島へ。すっかり途絶えている連載「戦争をめぐる映画/旅」ための計画でもある。広島は初めてなので、予習(?)としてアラン・レネ『二十四時間の情事』('59・日仏)を久しぶりに観たところ、なにやらとても狂おしい気持ちになってしまった。やや平凡に思われたこの旅が、始まる前からコントラストの強い、モノクロで焼き付けられたようにみえる。

のんびりカキとかお好み焼きとか食べてる場合じゃなくなりそうだ。食べるけど。

極私的ミュージックアルバムベスト3(2016年版)

なぜ3つしかないかと言えば(以下略

今年はさっそくいろいろ聴いてます。しかしその前に、やはり去年のことを。

3.SOLANGE『A SEAT AT THE TABLE』 

A SEAT AT THE TABLE

A SEAT AT THE TABLE

 

友達の家に遊びに行って、コーヒーを淹れてもらいほっと一息。

「で、どう?」

と向かいに座って微笑むひとは、まごうかたなきソランジュそのお人(妄想シアター)。

誰でも彼女のテリトリーに自然に招かれ、コーヒーでも外の眺めでも、なんでもそこにあるものに心をほぐされる。ほぐされながら、一方で「うん。よし(がんばる)」という気持ちになれる。「頑張る!」ではなくて、(がんばる)くらいのテンションなのが心地よい。でも、無礼な人はお断り。そういう強さももらえる。

やわらかくも毅然とした彼女の声に、女性としての本当の強さを感じます。極私的にはファッショニスタの印象が強かったソランジュですが、なかなかどうして。とてもとても良いアルバムです。

 2.RADIOHEAD『A MOON SHAPED POOL』 

ア・ムーン・シェイプト・プール

ア・ムーン・シェイプト・プール

 

このアルバムを聴いて喜んだのは、誰よりも私のようなオールドタイプのレディへファンではないでしょうか。 OKコンピューター以降のラディカルな進化に戸惑いを覚えながらも時にはしがみつき、ぶら下がり、

「ぼ、ぼくたち(わ、わたしたち)トムのことわかるからね!!」

なんて言ってみても、所詮こちらは凡人、挫折することも多々あったから。何に?トムを愛することに。

そういった本末転倒をきっちり回収して余りあるこのアルバム。懐かしさと新しさで、20年くらい時の流れが止まっていた自分の一部が前よりも勢いよく廻りだした気がします。やや単純かもしれませんが(私が)…。

1.Johann Johannsonn『Orphee』

Orphee

Orphee

 

ヨハン・ヨハンソン6年ぶりの新作。クラシックとエレクトリックのあわいで、さまざまなサウンド・スケープ(※1)を展開してきた彼の10年目の作品は、ドイツ・グラモフォン・レーベルでのデビュー盤でもあります。満を持していないわけがありません。

※1:あまり横文字を濫用したくないのだけど、この人についてはこの言葉しか思いつかないので…

(youtubeのリンクを貼りましたが、このブログ上では再生できない様子。もし興味を持たれたら、中央の再生をクリックした後に現れるリンクからyoutube上で聴いてみて下さい。)

youtu.be

まず、モダンで聴きやすいM1:「Flight From The City」 により、私たちはヨハンソンとの意識の旅に出ます。ピアノによるシンプルなメロディを高揚するストリングで押し拡げていくさまは、私たちの飛行が大きく翼を広げ、やがてこのアルバム『Orphee』の世界を俯瞰できる場所に導かれてゆくようです。

youtu.be

しかしながら、M2:「ヨーロッパに捧げる歌」 で思い知るように、私たちが眼下に見る世界はどこまでも険しい。ヨハンソンの中では、すでに一度世界は終わってしまったのでしょうか?そしてその世界とは、オルフェの属する神代の世界なのか、はたまた私たちが棲まうこの現代なのでしょうか。

その後も「沈んだ世界」「カオスとの契約」「塵の山」と続き、美しくも荒涼とした眺めを想起させる調べが続きます。その中を「ヨーロッパに捧げる歌」のフレーズが繰り返し現れ(「断章I」「断章II」)、鎮魂歌のような厳かさでその世界と聴く人を調和させてゆきます。

しかし、これだけの悲しい曲名、悲しい響きを聴くにもかかわらず人はきっと「ヨハンソン(≒オルフェ?)は世界を決して諦めないのだな」と感じることができるでしょう。少なくともわたしはそう思うので、「ノロジカや野の雄鹿にかけて」で押し留めていた涙が溢れ出し、「断章II」では嗚咽が漏れてしまいました(書いている今もちょっと喉が詰まる)。

アルバム1枚で、そこらの映像よりもはるかに豊かな眺めを作り出すヨハン・ヨハンソン。そんな彼が『ブレード・ランナー』の続編で音楽を担当する(!)というのですから、今から楽しみでなりません。

こちらは彼のデビュー作。堅さはあるけれど、若い疾走感もあって気持ちがいい。

Englaborn

Englaborn

 

(こちらはこのブログ上で聴けるようです)


Jóhann Jóhannsson - Odi et amo

そして、やっぱり悲しい(笑)。表題作の「Odi et amo」とは、「我憎み、我愛す」。曲中の歌詞も同じフレーズで始まるカトゥッルス(古代ローマの叙情詩人)の詩そのままになっています。

選考外:MASSIVE ATTACK『Ritual Spirit』 

Ritual Spirit (EP)

Ritual Spirit (EP)

 

 あくまで「アルバム」が選考対象だったためベスト3からは除外しましたが、Trickyの帰還、一筋縄ではいかないPVの数々。EPでこんなに充実れてしまうと、次のフルアルバムへの期待が止まりません。ほんと、去年はこればっかり聴いてたなぁ。

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ミュージックビデオ編でも思いましたが、ここに挙げたベスト3の他にも、各作品をつなぐ数多の名作・佳作があったのだろうと痛感します。どんな作品も互いに影響しあったり、同じ思想や世相の影響を受けたりしているものだから。来年に書く2017年版は、ジャンルもレビューもより充実したものにさせたいと思います。

極私的ミュージックビデオベスト3(2016年版)

何故3つしかないかといえば、自分の探求が足りなかったからです。

これも面白い、すごかった、美しい!!というものがあれば、いつでも教えてください。

3位:『daydreaming』REDIOHEAD


Radiohead - Daydreaming

往年のトムヨ節に重なる、淡く不可思議な映像。話題性では同じアルバムの『Burn The Witch』が突出しているけれど、個人的にはどこで観ても、聴いても、しんみりとなれるこの曲の世界観に親しみを覚えました。

2位:『Voodoo In My Blood』massive attack feat.Young Fathers

youtu.be

一目見て大興奮。我らがロザムンド・パイクに幸いあれ!

昨年前半はこの曲および収録EP『Ritual Spilit』ばかり聴いていました。

主人公が地下に降りて未知のもの(自分自身?)と遭遇するストーリーはかつての「Angel」を彷彿とさせます。のっけから涙ぐむロザムンドの姿に、ただただ心地よい屈服を感じるばかり。

1位:『Wide Open』The Chemical Brothers feat.Beck


The Chemical Brothers - Wide Open ft. Beck

年始早々リリースされたMVですが、年末に初めて観ました。そして魂消ました。

歌詞とシンクロしながら、さらに世界を広げていくすばらしい映像。

3:35 〜 3:40に見られる鏡のシーンも示唆に富んでいます。

憂い顔が美しいダンサーのお名前はソノヤ・ミズノ。日系イギリス人のバレリーナで、モデルで、女優とのこと。一昨年『エクス・マキナ』で映画デビューし、昨年はユニクロのcmにも起用されていたそう。テレビ観ないから知らなかった…にしても『エクス・マキナ』観てないのはダメでした。

近頃話題の映画『ラ・ラ・ランド』にも出演しているそうなので、観に行こうかな。

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ここ数年大好きなFKA twigsも意欲的な映像が多かったけれど、前年のはっちゃけぶりがすさまじく(『M3LL155X』『Glass&Patron』など)、どちらかというとライブ映像がパワフルだな、と思っていたら新年早々すごいものを見られました。


FKA twigs x Nike – do you believe in more? (Full Edition)

今年も絶好調の予感です。早く再来日しないかな。

そして今年はもっとあるはずのいい曲、いい映像をたくさん見つけられたらと思います。

【旅日記】パリからの眺め:ショア記念館

(企画・戦争をめぐる映画/旅 第一部 アウシュヴィッツ、カティンの森、そしてヒロシマ― ⑦)

アウシュヴィッツのこと・④から続く

初めてパリに行ったとき、とある街角で標識らしきものに気が付いた。青で縁どった小さな白いプレートに、やはり青い文字で「memorial de la SHOAH」と書いてある(memorialのeのうえには発音記号アクサン・テギュaccent aigu'' ´ ''が付く)。ショア記念館のことである。プレートはそれ自体が道案内になるよう記念館の方角を向き、片側は方向を強調すべく三角形になっている。こういうものが記念館の周りにごくさりげなく点在している。

ショア-SHOAHという言葉を知ったのは学生の頃、村上春樹のエッセイで、それ自体がホロコーストに関するとてつもなく長いドキュメンタリーのタイトルでもあることは知っていた。しかしいざ現実にその言葉を見つけても、なんとなく自分と繋がりが見えず、二度目、三度目の渡仏でそこに行くことはなかった。

その一方で、そこを訪れないことは一つのわだかまりであり続け、同時に自分に多くの言い訳をもたらし、むしろ暫く遠ざかる結果となった。短い旅程でそういう時間はない、とか、日本人の私が行ったら変に思われるかもしれない、とか。いま思えばどうでもいい、知識不足の思い込みだったと思う。にもかかわらず、ある人の助言によってアウシュヴィッツに行くことを決めた後は、この記念館を訪れることは至極当然のように思われた。(これに限らず、人の言葉によって突然自分を縛っていた鎖が放たれることはいつでも不思議で、素敵で面白い。たとえそれが楽しい体験だけではないとしても。)

フランスにおけるホロコーストの惨禍を記憶する場所・ショア記念館はパリ4区のマレ地区にある。看板(道案内)はきわめて慎ましげに立ち、建物自体もひっそりしている。セキュリティ上の理由からか、入口も多くの施設のように広々と開かれている訳ではない。しかし、ポーランドから戻った私は平日の授業を終えた後、いまこそは、とこの建物に向かった。入場するとおだやかな光を受ける広場があり、入ってすぐに目にする石碑「名前の壁」は潔く白い。明るくはないけれど、全体に清さがあったと思う。

記念館では第二次大戦下におけるホロコーストの資料を集めた常設展のほかに、期間の決められた企画展が行われる。常設展を設けた地下階の手前には、クリプトと呼ばれる礼拝堂があり、犠牲者を悼む火が絶えずともされている。その中央にはゲットーや強制収容所で亡くなった人の灰が納められているという。遠目に見てもとても厳かな空間だった。遠目に見ても、というのはイスラエル人と思しき若者が大勢クリプトの入り口にいたので、中に入っていないからだ。

アウシュヴィッツで見たとき同様、なぜか自分の眼には彼らがとてもまぶしく映るのだった。イスラエル、というよりも中東そのもに縁遠く、もはや若くもないからだろうか。彼らを押しのけて中に進む気にはならない。

常設展ではアウシュヴィッツでも見た囚人服一式や、書簡など個人的な資料が見られる。あるいは当時の新聞、書籍など。簡素なベンチを前に備えたスクリーンには、誰かへのインタビューが映されている 。これが後に何度も観るドキュメンタリー『SHOAH』の一部だったのか、どうも今でも分からない。ともあれ全体として、アウシュヴィッツで見たものを補うには充分すぎる資料群だった。事が事だけに手放しで称賛するのもそぐわないが、それでも素晴らしかった。そう思うのは、この問題にかかわる切実さから無数の祈りがあふれ出しているからだろう。

2006年には、「正義の人の壁」が敷地外側の壁面に取り付けられた。正義の人/諸国民の中の正義の人 Righteous among the Nationsとは、第二次大戦下にユダヤ人を助けた勇気ある人々にイスラエル国家が与える称号である。エルサレムにあるヤド・ヴァシェム(ホロコーストに関するイスラエルの国立記念館)には全世界の正義の人の名を刻んだ「名誉の壁」があり、そこには日本で唯一この称号を受けた人の名前がある--もちろん杉原千畝その人である。ここフランスのショア記念館には3,000を超えるフランス人の正義の人の名が刻まれている。

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これは日本に戻ってから知ったことだが、シテ島の東端には、収容所犠牲者の記念碑があるそうだ。マレ地区の職業訓練校はかつては小学校で、当時の校長と生徒が強制連行された過去を悼む石碑があるという。パリの川辺や街角でもわたしたちは知り、学ぶことができるのだ。あるいは日本でだって。

そんなようにして、ホロコーストの象徴であるアウシュヴィッツ/当時占領された国フランス、それぞれで知ったことは、単に両者の関係にのみフォーカスするのではなく、さまざまな場所から、さまざまな場所へのまなざしが交差していることを私に教え、ひいては歴史は生き物で、つねに編み直されている、ということを思い知らせたーーというよりも、2年半経った今でも思い知り「続けている」。

これ以降パリにも行ってないから行きたいし、さらにアウシュヴィッツには必ずもう一度行かなければならないと思っている。それは中谷剛さん(現地で唯一の公認日本人ガイド)に改めて話を聞くためでもあるし、前回訪れなかったビルケナウになんとしても行かなければならない、という気持ちからであり、もう一つにはクラコフでハンバーガーと一緒に好きなだけフライドポテトを食べたい、という気持ちも少なからずある。今度は水浸しになることなく、だ。

ショア記念館 17, rue Geoffroy l'Asnier 75004 Paris 

http://www.memorialdelashoah.org ※英語表示あり

なお、今週末から10月にかけての企画展は「Shoah et bandes designee」、すなわち「ホロコーストとマンガ」展である。非常に興味深い。

【日記】2016年11月11日

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10月のひきこもり期間に、昔フィルムで撮った写真を見つけた。

おそらく、10年ほど前のものだろう。相変わらずへたっぴだが、思い出を封じ込めることには成功したようだ。初秋の九十九里浜、チューリヒ空港、パリの空、などなど、、、いまとなってはもう何処か分からない風景もある。

劣化部分は復元すれば直るだろうが、迷っている。やや手前味噌になるけれど、この写真が鮮やかだったころと今の状態とで、こころが受ける光の量は変わらない気がするからだ。第三者では違う意見になるだろうけれど。

といって、いつも自分のためだけに写真を撮っているわけでもない。大きすぎる志(こころざし)を嗤われようと、ひとたび撮る以上はシャッターごとに対象を完膚なきまでに解体し、もういちど作り上げないといけない、そう思っている。そして、それは殆ど暴力的なやりかたになることもある(事物の捉え方において)。それをさらに整えたり、たまには血塗れの状態で、人様に差し出さねばならないのだ。新しいことを視るために。あるいは、識るために。。。万年アマチュアであろうと自分が写真を撮るのはそのためだ。

…こう書きながら、これらの古い写真たちは今後も極めて個人的な領域に留めておくことを、初冬のきょう、決めた。

【映画】写真家ロバート・フランクのドキュメンタリー公開と写真展

久しぶり―!

natalie.mu

写真家ロバート・フランクのドキュメンタリー「アメリカンズ  ロバート・フランクの写した時代」の日本公開が決定した。2017年4月から、東急Bunkamura ル・シネマなどで順次上映とのこと。

また、これに先立ち、東京藝術大学大学美術館ではこれまでの作品の展示が行われる。フランク自身がドイツの出版社シュタイデル社の創業者ゲルハルト・シュタイデル(!)とともに自身の仕事を振り返るというコンセプトらしい。シュタイデルともからんじゃうの!?

万難を排して訪れなければ、と思うのでした。

しかし東京フィルメックスといい、11月は忙しいな。

【映画】東京フィルメックス 11/19(土)より開催!

cinefil.tokyo

公式サイトはこちら↓

第17回「東京フィルメックス」 | 映画の未来へ

cinefil.tokyoの記事の通り、モフセン・マフマルバフ(イラン・代表作『サイレンス』『独裁者と小さな孫』)やリティ・パン(カンボジア・代表作『S21』『消えた画(え)』)がやってくる。それに加えてキム・ギドク(韓国・代表作『弓』『春夏秋冬そして春』)まで!大げさでなく震えている。

チケット発売は11/3(木)からだそうで、cinefil.tokyoではチケットのプレゼント企画もあるもよう。今からそわそわしっぱなしです。