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cinematheque 30/- blog

いつも心にデカダンを。

【旅日記】アウシュヴィッツのこと・②

voyage(旅日記)

(企画・戦争をめぐる映画/旅 第一部 アウシュビッツ、カティンの森、そしてヒロシマ― ③)

【旅日記】アウシュヴィッツのこと・①から続く

ガイドの説明を聞きながら、私たちはゆっくりと「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」のアーチをくぐった。写真を撮る人もいたし、私もiPhoneをかざしたが(一眼レフは電池切れ)、うまく撮れなかった。そのうえ、そのiPhoneは帰国するなりすぐに水没してしまった。これがこの旅行記に一切の写真が無い理由である。

アウシュヴィッツ――、現在の正式名称は「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」であり、さらに、世界遺産の登録名は「アウシュヴィッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所(1940年-1945年)」である。後者の長い名前は、この場所を自国の産物だと誤解を受けないよう、ポーランドが名称の変更を申請したためだ。

この名称に含まれる施設は第一収容所(独:アウシュヴィッツ/波:オフィシエンチム)、第二収容所(ビルケナウ/ブジェジンカ)、そして第三収容所(モノヴィッツ/モノヴィツェ)の三つ。私がアーチをくぐった第一収容所は、もとはオーストリア=ハンガリー帝国軍の兵舎だった。ドイツが占領時に接収したものを、SSに譲与しこれを施設としたのだ。

ここは収容所の中でも最も規模が大きく、そして長期間にわたり使用された。建物が堅牢であったことが、このときばかりは彼らの暴虐を助けてしまったかもしれない。と、煉瓦造りの壁を思い出すにつけ、今でも考える。隣接したビルケナウは掘立て小屋の集まりだったし、ヘウムノやソビボルのような他の収容所も、ここのようにとても長期間の使用に耐えうるような強度は持ち合わせていなかっただろうからだ。…とはいえ、仮にここが簡単に壊れたところで、彼らは何度でも新しいアウシュヴィッツを作り出しただろうけれど。アウシュヴィッツ以外の収容所については、のちほど紹介する映画『SHOAH』の記事で掘り下げて述べたい。

9月半ばはオンシーズンなのだろうか、とにかく見学者が多い。たくさんの見学グループが構内をルート通りに見学して、ときどきぶつかって滞留する。さまざまな国の人が、大型バスに乗って大挙してきているのだった。(私は小型バスだったし、相変わらずアジア人はあまり見かけないけども)

イスラエル人と思しき学生たちは高校生だろうか、修学旅行のルートになっていると聞いた。青地の制服に黄色でプリントされた六芒星は少しまぶしい。この子たちには、といっても同一人物ではないだろうが、この小旅行のあとに戻ったパリのSHOAH記念館でも会うことになる。イスラエルの子供たち。こんな場所にいるからなのか、すこし特別に見えた。

度重なる混雑、滞留により、ときどきは自分のグループからはぐれそうになりながら、それでも下記の通り見学を進めることができた:

 

4号棟 当時の写真・被収容者の国別統計・チクロンB関連の資料展示。

5号棟 SSが被収容者から押収した物品の展示。大量の毛髪、鞄、メガネ、食器など…

6号棟 被収容者の顔写真の展示。皆一様に髪を刈られ指定の縞の服を着ている。

7号棟 被収容者の当時の生活についての展示。わら敷きの再現や、実際に使用されていたベッドなどの展示。

11号棟 処刑に関する執務室および地下牢

10号棟はSS医師ヨーゼフ・メンゲレが数多く生体実験を行った場所だが、ガイドの意向か混雑のためか、私たちのグループはこの棟に入らなかった。内部の様子は映画『夜と霧』で見られるが、実際に入るとなればこの場所を正視することはできなかったかもしれない―それではここに来た意味がないのだが。それにしても、そう思うほどにメンゲレの行った凄惨な実験はガス室とは別の狂気に満ちていると思うのだ。

そして、10号棟と11号棟のあいだには「死の壁」がある。 銃殺される囚人が立たされ、最期を迎えた場所だ。処刑の光景が見えないように、この負のモニュメントの周りには様々な工夫が凝らされている。

まず、10号棟の壁側の窓にはすべて黒い目隠しがついている。11号棟も、地下牢には窓を覆う形のコンクリートの壁がある(1FはSSの執務室なのでそういうものは無い)。そして、10号棟と11号棟の建物そのもの、ここの間にだけ鉄の門がある。それだけ隠したければ離れた場所でやればよかったろうに、残念ながら施設の周りはひたすらに農地が続くし、ポーランド人がごく普通に農作業を営んでいた。もちろん音が聴こえてもいけないから、処刑に使われる銃にはサイレンサーが付けられたという。

そのせいなのか、押し殺された叫びが満ちたような、尋常ならざる空気が、この場所には今もなお残っていた。絶えず花が捧げられているこの場所は、ガイドも含め、皆遠巻きにしか眺めない。私もバラを一輪捧げたが、長いあいだ壁の近くに立つことは出来なかった。

死の壁を離れ、次は11号棟の地下牢を見学する。