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いつも心にデカダンを。

【映画】『夜と霧』(’55・仏)※グロ表現有

 (企画・戦争をめぐる映画/旅 第一部 アウシュビッツ、カティンの森、そしてヒロシマ― ②)

夜と霧 Blu-ray

夜と霧 Blu-ray

 

監督:アラン・レネ 脚本:ジャン・ケイヨール(解説台本) 撮影:ギスラン・クロケ/サッシャ・ヴィエルニ 音楽:ハンス・アイスラー ナレーション:ミシェル・ブーケ

<Summery>

第二次世界大戦終戦後、ホロコースト(ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺)について初めて制作されたと言われるドキュメンタリー映画。第9回カンヌ国際映画祭(1956)にも出品されたが、’’西ドイツ大使の要請を受けた仏外務省から「友好国を侮辱する恐れのある作品」として出品を取り下げるよう命令され、コンペティション部門外での上映となった’’(Wikipedia「夜と霧(映画)」より)。

収容所の跡地をカラーで映した導入部のあとに、観る者を時間旅行に導く怒涛のコラージュが始まる。全てモノクロで構成されたこの映像の旅は、ナチスの台頭、収容所の建設、被収容者の連行、強制労働、さらにガス室の使用とと遺体の処理、そして収容者の解放まで続く。

<Detail>

被収容者の所持物を(取り上げて)積み上げた倉庫、男女問わず髪を刈られた顔、穴だけの便所、病に倒れても紙の包帯しか巻かれない患者。人体実験が行われた部屋、人体実験の施された患部――女性のそれは、彼女が傷を晒す1秒前で他の映像に切り替わる――その一方で、SS(親衛隊)の居住する屋敷の豪奢な内装など…。コラージュで繋がれるイマージュのあいだに感情的な演出は無く、それだけに映像の苛烈さが観る者の眼に焼き付けられる。否、刻み付けられる。もし眼に骨があったなら、鑑賞後は消えない痕が穿たれているだろう。

そして後半、このコラージュの大半を占めるのは夥しい数の遺体である。脱出を図って、電流の通った鉄条網で感電死する遺体、首を切断された複数の遺体(首はたらいに詰め込まれている)、毛布あるいは紙として再利用される遺体、焼却が追い付かず、ごみのようにブルドーザーで埋められる遺体…

のちに紹介する『SHOAH』(1985・クロード・ランズマン監督)のような生存者・関係者の証言は一切無く、当時の人間がとらえた当時の映像をひたすらつないでゆく。このようにかつて行われた暴力(という言葉ではあまりに足りないが)の告発を淡々とするこの映画は、ナチスに関する限りなく「純粋な」記憶ではないだろうか。

冒頭でミシェル・ブーケの声は問う。「(この過去を)映像で表せるか?」と。それは悲劇の発生から時間が経ったからではなく、有効な証言がないからでもなく、そもそもアウシュヴィッツとその他の収容所で行われたことの表現はなににおいても不可能だという、終戦後のヨーロッパ人の一つの思考を反映している。

’’アウシュヴィッツが出現するまで誰もアウシュヴィッツを想像できなかったように、アウシュヴィッツが滅んだあとも誰もそれを再び語ることは出来ない'' エリ・ヴィーゼル(ユダヤ人作家)

この考えに賛同する者もいればそうでない者もいるが、立場がどちらであれこの「表象不可能」な「アウシュヴィッツ」は未だ多くの者によって描かれ、あるいは語られている。そのなかでもこの『夜と霧』は「語り得ぬもの」に当時としてはベストのやり方で対峙し、かつ叶えられなかったことを課題として観る者に示す傑作ではないだろうか。私はそう信じているし、まだ観たことのない多くの人にも手に取ってみてほしい。

(読んで頂き有難うございました。企画・戦争をめぐる映画/旅 第一部 アウシュビッツ、カティンの森、そしてヒロシマ― ③【旅行記】アウシュヴィッツのこと・②は7/29(金)掲載予定です。)

 

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