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cinematheque 30/- blog

いつも心にデカダンを。

【旅日記】パリからの眺め:ショア記念館

voyage(旅日記)

(企画・戦争をめぐる映画/旅 第一部 アウシュヴィッツ、カティンの森、そしてヒロシマ― ⑦)

アウシュヴィッツのこと・④から続く

初めてパリに行ったとき、とある街角で標識らしきものに気が付いた。青で縁どった小さな白いプレートに、やはり青い文字で「memorial de la SHOAH」と書いてある(memorialのeのうえには発音記号アクサン・テギュaccent aigu'' ´ ''が付く)。ショア記念館のことである。プレートはそれ自体が道案内になるよう記念館の方角を向き、片側は方向を強調すべく三角形になっている。こういうものが記念館の周りにごくさりげなく点在している。

ショア-SHOAHという言葉を知ったのは学生の頃、村上春樹のエッセイで、それ自体がホロコーストに関するとてつもなく長いドキュメンタリーのタイトルでもあることは知っていた。しかしいざ現実にその言葉を見つけても、なんとなく自分と繋がりが見えず、二度目、三度目の渡仏でそこに行くことはなかった。

その一方で、そこを訪れないことは一つのわだかまりであり続け、同時に自分に多くの言い訳をもたらし、むしろ暫く遠ざかる結果となった。短い旅程でそういう時間はない、とか、日本人の私が行ったら変に思われるかもしれない、とか。いま思えばどうでもいい、知識不足の思い込みだったと思う。にもかかわらず、ある人の助言によってアウシュヴィッツに行くことを決めた後は、この記念館を訪れることは至極当然のように思われた。(これに限らず、人の言葉によって突然自分を縛っていた鎖が放たれることはいつでも不思議で、素敵で面白い。たとえそれが楽しい体験だけではないとしても。)

フランスにおけるホロコーストの惨禍を記憶する場所・ショア記念館はパリ4区のマレ地区にある。看板(道案内)はきわめて慎ましげに立ち、建物自体もひっそりしている。セキュリティ上の理由からか、入口も多くの施設のように広々と開かれている訳ではない。しかし、ポーランドから戻った私は平日の授業を終えた後、いまこそは、とこの建物に向かった。入場するとおだやかな光を受ける広場があり、入ってすぐに目にする石碑「名前の壁」は潔く白い。明るくはないけれど、全体に清さがあったと思う。

記念館では第二次大戦下におけるホロコーストの資料を集めた常設展のほかに、期間の決められた企画展が行われる。常設展を設けた地下階の手前には、クリプトと呼ばれる礼拝堂があり、犠牲者を悼む火が絶えずともされている。その中央にはゲットーや強制収容所で亡くなった人の灰が納められているという。遠目に見てもとても厳かな空間だった。遠目に見ても、というのはイスラエル人と思しき若者が大勢クリプトの入り口にいたので、中に入っていないからだ。

アウシュヴィッツで見たとき同様、なぜか自分の眼には彼らがとてもまぶしく映るのだった。イスラエル、というよりも中東そのもに縁遠く、もはや若くもないからだろうか。彼らを押しのけて中に進む気にはならない。

常設展ではアウシュヴィッツでも見た囚人服一式や、書簡など個人的な資料が見られる。あるいは当時の新聞、書籍など。簡素なベンチを前に備えたスクリーンには、誰かへのインタビューが映されている 。これが後に何度も観るドキュメンタリー『SHOAH』の一部だったのか、どうも今でも分からない。ともあれ全体として、アウシュヴィッツで見たものを補うには充分すぎる資料群だった。事が事だけに手放しで称賛するのもそぐわないが、それでも素晴らしかった。そう思うのは、この問題にかかわる切実さから無数の祈りがあふれ出しているからだろう。

2006年には、「正義の人の壁」が敷地外側の壁面に取り付けられた。正義の人/諸国民の中の正義の人 Righteous among the Nationsとは、第二次大戦下にユダヤ人を助けた勇気ある人々にイスラエル国家が与える称号である。エルサレムにあるヤド・ヴァシェム(ホロコーストに関するイスラエルの国立記念館)には全世界の正義の人の名を刻んだ「名誉の壁」があり、そこには日本で唯一この称号を受けた人の名前がある--もちろん杉原千畝その人である。ここフランスのショア記念館には3,000を超えるフランス人の正義の人の名が刻まれている。

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これは日本に戻ってから知ったことだが、シテ島の東端には、収容所犠牲者の記念碑があるそうだ。マレ地区の職業訓練校はかつては小学校で、当時の校長と生徒が強制連行された過去を悼む石碑があるという。パリの川辺や街角でもわたしたちは知り、学ぶことができるのだ。あるいは日本でだって。

そんなようにして、ホロコーストの象徴であるアウシュヴィッツ/当時占領された国フランス、それぞれで知ったことは、単に両者の関係にのみフォーカスするのではなく、さまざまな場所から、さまざまな場所へのまなざしが交差していることを私に教え、ひいては歴史は生き物で、つねに編み直されている、ということを思い知らせたーーというよりも、2年半経った今でも思い知り「続けている」。

これ以降パリにも行ってないから行きたいし、さらにアウシュヴィッツには必ずもう一度行かなければならないと思っている。それは中谷剛さん(現地で唯一の公認日本人ガイド)に改めて話を聞くためでもあるし、前回訪れなかったビルケナウになんとしても行かなければならない、という気持ちからであり、もう一つにはクラコフでハンバーガーと一緒に好きなだけフライドポテトを食べたい、という気持ちも少なからずある。今度は水浸しになることなく、だ。

ショア記念館 17, rue Geoffroy l'Asnier 75004 Paris 

http://www.memorialdelashoah.org ※英語表示あり

なお、今週末から10月にかけての企画展は「Shoah et bandes designee」、すなわち「ホロコーストとマンガ」展である。非常に興味深い。