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いつも心にデカダンを。

【映画】追悼 アンジェイ・ワイダ

どうぞ安らかに。

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『灰とダイアモンド』('58)、『地下水道』('57)、『悪霊』('88)、『コルチャック先生』('90)、『カティンの森』('07)・・・、どれも自分に強烈な印象を与えた、大事な大事な作品だ。

抵抗三部作(『地下水道』、『灰~』、『世代』('55))のひりつく緊張感、多彩な登場人物による巧みな進行で、作品は社会派ドラマである以上に優れたエンターテイメントだった。この三作に心打たれた人は本当に多いと思う。そしてあふれる反抗精神とは裏腹に、どの瞬間にも掛け値なしの無垢が宿っていることが、アンジェイ・ワイダの作品を今日まで映画芸術たらしめたと信じている。

親日家で、坂東玉三郎の舞台を演出したこともあったし、日本の旅行番組に夫婦で出演したこともある。なにより、東日本大震災のときには日本に励ましの手紙を送ってくれた。浮世絵の影響で芸術を志した彼は、晩年ポーランドの都市クラクフに「日本美術・技術センター」を創設したほどだ。彼の映画を観たことがない人も、彼の日本に向けた強く暖かいまなざしをこの機会に知ることがあればと思う。

活動初期から一貫して戦後ポーランドを撮り続けたワイダ。ソ連主導の共産党政府に対し、常に市民の側から批判し、組織にあらがう個人の脆さを悼んだ。やりきれない祖国の不遇を目の前にしても、生きることも撮ることも諦めなかった――たとえ一度はポーランドを追われても。

『鉄の男』('81)により政府から反体制と見なされ、ポーランド映画界を追われたあとはフランス・ゴーモン社の助けを得て『ダントン』('83)、『ドイツの恋』('83)、そして『悪霊』('88・ドストエフスキー原作)を撮った。(ちなみに、このタイミングで著名な脚本家アニエスカ・ホランドもポーランドを離れている)そして再びポーランドに戻り、封印された記憶を解き放つ――カティンの森事件を撮り、民主化の雄レフ・ヴァウェンサを撮った。

ワイダはどこにいるときでも、社会と市民と歴史に寄り添いながら映画を作った。

社会を描くときの硬質さ、ドストエフスキー作品などに垣間見える幻想的な風景、いずれにも共通するのは強靭な、鍛え上げられた「純粋さ」だと思う。何者にも侵されないまなざしが、彼の作品全てを貫き通したのだ。

激動のポーランド戦後史の重要な証言者であり、不屈の映画人だった。

もう一度言いたい。どうぞ安らかに。